2008年3月28日金曜日

我々が為すべきこと

言葉は結構鋭利な刃物で、案外簡単に誰かを傷つける。
傷つけるのは嫌だから、と言い訳をしながら僕らは言葉を選ぶ。探す。
間違っているかもと怯えながら、それでもきっと書くことを止められない。



意外と私は宿題提出が好きなのかもしれないw
学校の宿題は出した覚えがないんだがw

「飛んでから見れ!」さんのいいところわるいところより
 だから、もしわるいところを指摘するときでも、ここをこう直せばここがこうよくなるよって言えるようになりたい。

 これはネット小説界隈での話だけれど。

 そのためには、どこがどうだったらいいのか、どこがどうだからいいと感じるのかっていうのを本当に真剣に考えないといけないし知らないといけないし勉強しないといけない。そんなに簡単なことじゃない。

その点、お互いの見方考え方をぶつけ合うのが、一番勉強になると私は考えているので。
だからこそ、まずはブログ間の交流が必要なのではないかなと。

批評なり指摘なりに必要な前提とは何だろうかと考える。
私が必要だと考えるのは「信頼関係」。
現状「アイマス好きな奴に悪い奴はいない」前提で全てが回っているこの界隈。
ただ「悪い奴」は確かにいないんだけど、許容範囲には各人差があるわけで。
そこを踏み越えないためにも普段からのコミュニケーションは必要だと思うのです。

ガチをやるために、馴れ合わないために、お互いを良く知る。

つまり、arakawa77氏がwikiにblogリンク集を整備するという偉業を成し遂げた今、ブログ界隈に必要なのは「よそのブログのコメ欄にピンポンダッシュ」ではないかとw
濃い話はトラバで殴り合えば良いじゃん(無責任


割と本気で考えているので、弄りたがりの絵文字漫談の人に絡んでるのですが。
向こうはこっちに絡んでくれないんだよなw

2008年3月21日金曜日

orgoneP 参

野暮を承知で突き進むわけですが。

THE iDOLM@STER SINGS ”LOVE”

この選曲で「この人音楽が無いと生きていけないんだろうな」と思ってしまった私。
貪欲にいい音をジャンル関係なく探して回るタイプの音楽好きなんだろうな。

この作品は「アイマスキャラに歌わせる」ことを主眼において作られたものだろうと。
冒頭32秒のロングトーンで、スローだけではなく逆再生を織り交ぜて、声の揺らぎと唇の動きを一致させるところに意気込みを感じ取ってしまう。俺妄想全開。
その後も声の重なりとキャラの重なりを丁寧にすり合わせ、もはやトレードマークと言えるタイポグラフィカルなカットをインサートすることで盛り上がりを高め、2分31秒の雪歩ソロ地点まで一気に突き進む。

初見時、ここのロングトーンでの渾身のシンクロに正直油断した。0.5秒ほど。
おそらくorgonePの思う壺wwwまだ30秒残ってるのにww
一瞬緊張を解いた視神経に脳に襲い掛かる、圧巻のイメージの奔流。

「楽曲の緩急を見事に捉え、その上、最大限画像で増幅してみせる」とはいうもののですよ。
これだけのリズム感覚と、それが要求する画を選び取れる眼力というのはなかなか兼ね備える事が出来ないものです。
まあ、小室を越えて細野の背中が見える人ですからねw

マスターフォントで遊んでみた


チューハイひっかけながらでこれですか。そうですか。やっつけですか。
謙遜ですよね。冗談ですよね。お茶目さんなんだから全くハハハハハハハハハハ。


次回はorgonePの「眼」について妄想してみます。ええ。

2008年3月18日火曜日

空から(宿題が)降ってきたので。

この歳になって宿題を出されるとは思いませんでしたなw

アイマス動画関連サイトの役割って何だろう?より。
アイマス動画関連サイトの目的に「同好の士と交流したい・意見交換したい」というのは意外と入っていない件について煮詰めて提出とな。
煮詰めて提出ってのが地味にハードル高いなw


さて「交流したい」と「意見交換したい」はどうなんだろう、分けて考えたほうが良いんだろうか。
とりあえず分けて考えよう。

「交流したい」については
1.他にもっと適した場がある(掲示板・チャットやメッセ・Twitterなど)
2.馴れ合ってんじゃねーよw
3.ウエルカムなんだがみんな固いよね。

「意見交換したい」については
1.殺伐とするのが目に見えているのでなるだけ回避。
2.殺伐とした議論に堪えられないことはないはずだが。

えー。「ニコマス好き同士がニコマス界隈でニコマスの話を避ける不思議!」
ここを煮詰めればよさそうですね!


とはいえ、そんなものはとうの昔に煮詰まっているわけで。

人間は悲しい生き物で、何にでも順番をつけたがります。
それは決して悪いことではありません。
だって、何かを大切に思う気持ちですから。

ただ、その順番は各々個人のものであって、そして日々変わっていくものです。

他の人が何を大切に思っているかを知ることは、自分が何を大切にすべきか知るきっかけです。
自分が何を大切にしているかを語ることは、自分がそれを本当に大切にしているかの確認です。

そして、自分の思いが相手に通じないことは、我々が自由な存在であることの証なのです。

原理主義者はイラネって話なんですがね。はっきりと書いてしまいますが。

そして「意見交換」→「批評」は危険視される訳です。あえて「感想」に留めるのが自己防衛的におすすめw。「批評」と「批判」がごっちゃになる人が暴れますから。

【批評】 事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること。
【批判】 誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
確かに批判はマズい罠。批評が批判だと非難する人、とか書いちゃうと、もう何がナニやらw

当然みんな「個人的な意見なので」と予防線張ってしまいますよね。うちもですが。
でも、読んでる側からすると、これ張られちゃうと非常に絡みづらくなるんですよ。
コメ欄なんかで突っ込んだ話を切り出したら野暮かな、負けかな、と思ってしまう。

言外に「絡んでくるんじゃねえ」って書いてるようなものですからw仕方ないですが。


書いてる側は書いてる側で、心の中では「だれも批判なんかしてないと思うんだけどなあ。是々非々で、良いと思った所と悪いと思った所を、あくまで自分の意見として述べるだけなんだから目くじら立てなくても・・・」と思うんですが。

実はそうでもないのかもしれません。

紹介した動画について、我々は筆を尽くして賛辞を述べ褒め称える。
では、紹介しなかった動画に対しては?
「紹介されない」という事実一点のみで、実は十分に批判足りえているのではないか?

わざわざ「よくない点」を指摘すると、途端に殺伐とした感情の嵐が吹き荒れる理由はそういった側面もあるように思えます。

「褒めてばかりでは批評が成立しない」という見解もあるでしょう。
しかし、前述のように、触れないことが否定に似た意味を持つのなら?
「我々は批判めいた事をわざわざ記す必要はない」→「褒めたいところだけ褒めても問題無く批評は出来る」とならないでしょうか?(強引)


批評であるか無いかを分けるのは、感動の根源を分析する態度だと私は思っています。「何によって心が動かされたのか」を克明に記述できれば、それは批評足りえるのではないでしょうか?
少なくともサンプルは増えるわけで、誰かが論をまとめてくれるかもしれないw

まあ、ネタばれの問題は存在するのですが、実はあまり問題にならないと私は考えています。本当はみんな気が付いているはずなんですが。ビバ建前。

ともあれ、記名で物を書く人間が率先して動くことによって、もっとたくさんの声がニコマス界隈で飛び交うと良いなと思います。


煮詰まってないとか、何か焦げ臭くないか?とか、まあ気にしないでくれw