2008年5月10日土曜日

orgoneP 伍

そしてご本人曰く「変化球」が残るわけですが。


如月千早 「眩惑の海から」


変化球というか、左対左でプレートぎりぎりまで使ったボール気味のクロスファイアというかw
KAKU-tail PARTY という場だからこそ投げられる球だったと私は認識しています。

「千早」で「し」というテーマに決まったとき、Pは何を思ったでしょう。
ただ、「し」という言葉から連想するものを何処かに書き連ねたのは間違いないことと思います。

氏 詩 志 子 視 私 思 see sing ・・・・・・ そしておそらく 死 と。

そして、余すことなく、何よりも千早自身を表現するために、一番P自身が信頼できる手段を採ったのだと。
結果出来上がった作品は、MADの枠すら逸脱してしまった。
このテーマを引き当てる事が必然だったかのように。
禁忌すら踏み越えて。

ラストシーン、飛び立った鳥が大きく旋回して戻ってくる。
私はいつもそこで頷く。
決して飛び去ってはならないのだ。

ニコマスファンではなく、千早という少女の存在を信じる者に捧げられた作品。
これを変化球にしてはならない。
たとえP本人が何と言おうとも。


水瀬伊織 フタリの記憶(モノクローム・ミックス) 


この作品は、誕生祭作品であると同時に、えこPの MASTER FONT への返答のような気がしてならないのです。

私は、ニコマスPは二つに大きく分けられると思っています。
大雑把に言えば「作っちゃう」人と「切り取ってくる」人。
どっちが偉いとか凄いって話ではなくて、方向性の問題として。

えこPは誰がどう見ても「作っちゃう」人ですよね。
orgonePは「切り取ってくる」ことに卓越した人だと思うのです。
そういう方向の人が、MASTER FONT 的な手法で「作る」とどうなるか。
サムネを見ながら、そんなことを考えていたのを思い出します。

しかし、これのどこが変化球なんだろうか?
何回見てもど真ん中まっすぐなんだけど。

orgonePって不思議だな。


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